日本助産師会のあゆみ(歴史)

公益社団法人日本助産師会の創立

 日本助産師会は、助産師独自の職能団体として、1955(昭和30)年に社団法人として創立しましたが、 公益法人制度改革により公益法人認定法に基づいて公益性を認定され、 2012(平成24)年10月1日から公益社団法人として新たにスタートいたしました。1927(昭和2)年には、 日本における最初の助産師職能の全国組織として、日本産婆会が設立されています。

1.日本産婆会の創立とその背景

 1899(明治32)年に産婆規則と産婆名簿登録規則が発布され、 はじめて産婆(現・助産師)に対する免許制度が確立し、職業としての資質水準の統一が図られました。 この業務資格の整備とともに、社会的身分が自覚され、これが産婆の組合運動に結びつき、 やがて府県単位に多くの産婆会団体が結成されました。日本産婆会が設立される以前は、府県単位での自由な運営がなされていました。 ところが、1)母子保健を担当する者の全国的な知識・技術水準の整備と向上、そして、 2)戦時体制に入っていく国家的指導の徹底、とくに国の事業への参加や物資、その他の配給、地域的行政事項の伝達など、 より組織的な活動が求められる社会背景の中で、統一された全国組織の必要性が言われるようになってきました。 また、前述の必要性に加えて、当時各地の産婆団体の運営は、主に医師と監督官庁の官僚によるものであったため、 産婆間のこのような運営への不満も重なり、産婆の職掌を明らかにしようとする運動なども各地で活発に行われるようになりました。 このような運動などを通して各地の産婆会が提携を実現し、昭和2年、全国各府県の産婆組合の連合による会員5万人の日本産婆会が誕生しました。

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2.日本産婆看護婦保健婦協会(日本看護協会)の創立と保健婦助産婦看護婦法の制定

 戦後、GHQの方針で、看護全体としての団体結成に努力するように、との指導がなされました。 そこで、三つの職能団体、当時の日本産婆会、帝国看護協会、日本保健婦協会が統合され、昭和21年、 日本産婆看護婦保健婦協会として設立されました。日本産婆会は、その中の「産婆部会」として設置されました。
 1948(昭和23)年には、保健婦助産婦看護婦法(保助看法:現・保健師助産師看護師法)が公布され、 従来の「産婆」は「助産婦」に改称されました。また、26年の改正施行によって助産婦(現・助産師) の資格にも国家試験が課せられるにいたりました。 GHQは看護の大学教育化をすすめましたが、当時は実現せず、看護教育機関への入学を大学入学資格と同等、 高等学校卒業にすることで教育水準の統一が図られました。そして、この法律により、看護婦(現・看護師) 教育を基盤とした助産婦(師)教育制度が定められました。 免許もそれまでの県登録の業務免許から国登録の生涯免許に改正されました。
 1951(昭和26)年には、「日本助産婦看護婦保健婦協会」は「日本看護協会」と改称、当時の助産婦職能は日本看護協会の助産婦部会として設置されました。

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3.社団法人日本助産婦会(現・公益社団法人日本助産師会)の創立

 1953(昭和28)年、看護協会が国際看護師協会(ICN)に加盟するにあたり、 今まで正会員であった助産婦(現・助産師)は準会員として扱う、という意見が出されました。また、 厚生省(現・厚生労働省)は、当時新しく計画する社会福祉・社会保障の準備段階として助産婦実態調査を企画していました。 その調査への協力要請に対する、協会と助産婦部会との意見の対立などもあって、助産婦職の一層の独自性と専門性を尊重した、 助産婦独自の会の設立を求める声が高まりました。また、保助看法以前の助産婦には、看護教育を受けていない者が多く、 そのような助産婦たちの間では、合併当初から、看護協会に所属することに抵抗感もあったようです。
 1955(昭和30)年1月、臨時総会において、190対2で助産婦部会は看護協会からの脱会を決議しました。 100人が協会に残留、会員数6万人からなる日本助産婦会が創立、同年5月27日、正式に社団法人日本助産婦会として 認可されました。6月には、第一回総会が開催され、会長以下、役員が選出されました。

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4.保助看法改正と本会名称の変更、公益社団法人としてのスタート

 2002(平成14)年3月1日より、従来の「保健婦助産婦看護婦法」は「保健師助産師看護師法」と改められました。 この改正に伴い、「助産婦」という名称も「助産師」と改められました。本会においては、同年5月13日の平成14年度通常総会で、 この法律改正に伴う本会定款改正案が審議され、「社団法人日本助産婦会」の名称が「社団法人日本助産師会」と改められることが決まりました。 この「社団法人日本助産師会」の名称は、同年7月11日に正式に認可されました。2012(平成24)年10月1日からは公益目的の事業を主軸とした 「公益社団法人日本助産師会」に変更されました。

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5.日本助産師会のあゆみ(歴史)

 (1988年発行社団法人日本助産婦会発行『60年のあゆみ』と1998年発行の『創立70周年記念誌−この10年間の軌跡−』より抜粋・要約)

1955(昭和30)年  国際助産婦連合に入会
 日本助産婦会第一回総会、第10回助産婦学会開催。
 優生保護法の一部改正案国会通過。5年間を限って実地指導員の避妊薬の販売を認める。
1956(昭和31)年  日本受胎調c節実地指導員協議会連合会設立総会
1957(昭和32)年  国際助産婦連合(ICM)総会(ストックホルム)に会長と副会長が出席
 「保健と助産」の編集発行。保健と助産研究会より日本助産婦出版部に移管、会の機関誌となる。
1958(昭和33)年  機関誌「保健と助産」誌名変更、「助産婦」となる。
1961(昭和36)年  児童福祉法の一部改正により新生児訪問指導開始。生後28日以内に1〜2回、養育上必要のある場合は数回の訪問指導をする。
 また、開業助産婦の訪問指導体制の 確立のため再教育及び訓練を行う旨児童局長通知。
1962(昭和37)年  医療金融公庫の貸付対象のなかに助産所の新設・増改築などの資金についても貸し出しがみとめられることになった。
 妊産婦の妊娠中毒症に対する公費負担が予算措置により開始される。
1964(昭和39)年  母性保健基本法促進連合結成。日本助産婦会など13団体参加。
1966(昭和41)年  新生児管理改善促進連合会、新生児標識委員会が発足する。二種類以上標識をつけること、そのうち一つは臍帯切断前につけることが定められた。
1967(昭和42)年  日本助産婦会でも全国の助産院に「おぎゃー献金箱」を設置
1968(昭和43)年  日本助産婦会から、助産婦業務指針が発行された。
 立ち遅れている母子保健対策を推進するための運動機関として母子保健推進会議が結成された。
1977(昭和52)年  東京都助産婦会館改築
1987(昭和62)年  21世紀に向けての看護制度改革の基本的方向としての看護制度改正案が示された。この改正案の中で、現在の助産婦としての独立した免許を廃止して、看護師の資格の中に一本化しようとする考えも示された。
1991(平成3)年  ICM神戸大会、5月5日を「国際助産婦の日」と定めた。
 雲仙・普賢岳火災災害に対して救援基金寄付。
1993(平成5)年  鹿児島に発生した集中豪雨の災害見舞金寄付。
1995(平成7)年  ベトナム助産婦会に母子保健支援金贈呈
 中国雲南省で発生した地震に救援募金の寄付
 「産後ケア事業」が開始され、6市町村で開始。
1996(平成8)年  全国助産院マップ発行。
 「産後ケア事業」22市町村に拡大される。
 第一回開業助産婦教育長期研修課程が開設された。
1997(平成9)年  母子保健法の改正により4月1日より母子保健事業が市町村に移管され、母子訪問事業も市町村事業となった。
1998(平成10)年  社会福祉・医療事業団の助成を受けて、子育て不安解消・虐待防止のためのモデル事業として本会支部15ヶ所に「子育て・女性健康支援センター」を開設。
2000(平成12)年  日本助産婦会「おぎゃー献金」を「すくすく赤ちゃん献金」に改称。
2001(平成13)年  「子育て・女性健康支援センター」、全国40ヶ所に。
2002(平成14)年  3月1日より、「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に改正されたことを受け、本会名称を、「社団法人日本助産師会」と改める。
参考文献

(社)日本助産婦会 (編) : 60年のあゆみ. 日本助産婦会出版部, 1988.
(社)日本助産婦会 (編) : 創立70周年記念誌-この10年間の軌跡-. 日本助産婦会出版部, 1988.

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参考文献

社)日本助産婦会(編):60年のあゆみ.日本助産婦会出版部,1988.
岡本喜代子:助産婦活動の歴史.ペリネイタルケア,夏季増刊,1999.
渡部尚子,岡本喜代子:[対談]日本助産婦会と日本看護協会:歴史と課題.助産婦雑誌,54(12),2000.
(社)日本看護協会助産婦職能委員会(編):産婆規則制定100周年記念式典・フォーラム[抄録],
日本看護協会助産婦職能委員会,2000.
看護行政研究会(監修):平成13年版看護六法.新日本法規出版株式会社,2001.

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