カテゴリー | 分娩取扱 |
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名前 | 大下 倍代 |
所属 | ままと赤ちゃんの家 |
2004年に開業した助産所「ままと赤ちゃんの家」を後継して2021年から助産所のお仕事を始めました。分娩と妊婦健診、産後ケア、アロマトリートメントやよもぎ蒸しなどのケアもしています。
助産師を目指したきっかけは?
東京の大学で学びながら、20歳の頃に歌手デビューをし、10年くらいはそのお仕事をしていました。ニューヨークで2年ほど音楽修行をしていたころに妊娠が分かり帰国しました。産むか、産まないかを迷っていた時に、出会った助産師さんからの「次は笑顔で(産科に)これると良いですね」と言われ私は今、笑顔でいられない選択をしているんだなぁとハッとしました。その声掛けが胸に刺さり、やっぱり産もうと決めました。出産の入院中には逆に助産師さんからの言葉に傷ついた場面もあり、助産師が女性の人生を左右してしまうほど大きな影響を与える職業なのだと思いました。手に職をつけたいという思いもあり、出産後に実家のある北海道で助産師を目指して学び始めました。
現在の仕事を始めるきっかけは?
学生時代に、独立開業をしておられる北海道の助産師会会長さんからの講義がありまして、その時のお話しやお人柄に感動して、入職した時から「いつかは自分でお産ができる助産所を開業する!」と決意しました。卒業後は病院勤務を8年間ほどしましたが、いつも「自分が開業するとしたらどういう準備が必要か」、「この産婦さんだったらどうやって自分はアセスメントするかな」という事を頭に入れてケアにあたっていました。胎児エコー技術は必要だなと思い「開業するので教えてください」と医師に頼み経験させてもらい、お産も医療介入を待ってもらうためのスキルや、上手に的確に医師に伝えることも意識して仕事をしていました。そのうちにバースセンターの立ち上げにもかかわり、緊急時の動き方も開業した場合の搬送の時を想定したりしながら助産師として経験を積みました。
助産所を後継してから半年たったある日、師匠から「明日からは院長として自分の判断で、一人でやるのよ」と告げられ、初めて自分の責任で判断し、分娩を取り扱うことになりました。妊娠34週過ぎて逆子になったり、初産婦さんでなかなか生まれなくて、もう搬送かもしれないと思ったけれど、こうしてみよう、あれをやってみようと、できるだけのケアをし、そして無事うまれました。よかったと本当にホッとしましたし、ああ、私はこの先ずっと妊娠中から産後まで一緒に悩んで一緒に喜んで、その時に生まれた子がすくすくと成長する様子を見届けることをやりたかったんだと痛感しました。その時の感動は今でも忘れられません。開業してよかったなって思えた時でした。
開業するために勤務助産師の頃から色々と準備をしてきたつもりでしたが、いざとなると助産所の運営資金や嘱託医療機関との連携などに苦労しました。それまでの助産所の実績を引き継がせていただいたので、色々な面で有難いことも多かったのですが、具体的に必要な器具をどうするかとか、やはり先に開業している助産師さんたちのアドバイスがなかったら大変だったと思います。
今、日本では助産所でのお産は1%もなくなってしまいましたが、それを引き上げたい。お産は病院でとなっている一般の方に、助産所ってこういうところと知ってもらえる活動をしていきたいなと思っています。目標は10%!ちょっと大きすぎるかもしれませんが、そのために何ができるかを考え続けていきたいです。
また、助産師である私にしかできない音楽活動も再開して、お母さんたちに喜んでもらえるようなことができるといいなと思っています。
実習に来る助産師学生さんに聞くと「助産院開業したい」と言ってくれる方もいるんですよね。その思いを是非実現してほしいと思うんです。就職してからもその思いを持ち続けてほしい。私は開業するにはどうしたら良いか、たくさん調べました。助産師会に入ればなんとかなるかなとか、開業マニュアル買っておいてペラペラめくって、こういう準備が必要なんだと折に触れ考えていました。開業を目指す助産師さんは、ぜひ日本助産師会に加入され、近くにいる開業助産師さんと出会って刺激を受け続けてほしいなと思います。
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